ペルシアの芸術
「ペルシアの芸術」というと、イラン文化圏における芸術全般のことを指しています。
この地域は現在のイラン・アフガニスタン・タジキスタン・アゼルバイジャン・ウズベキスタンとその周辺にまたがり、世界史上でもっとも豊かな芸術遺産を残す地域のひとつなんです。
そこでは今でも建築・絵画・手織物・陶芸・書道・金属工芸・石彫などの分野で技芸の修養が続いています。
もちろんイランもこの文化圏に入っています。

「ペルシアの芸術」というと、イラン文化圏における芸術全般のことを指しています。
この地域は現在のイラン・アフガニスタン・タジキスタン・アゼルバイジャン・ウズベキスタンとその周辺にまたがり、世界史上でもっとも豊かな芸術遺産を残す地域のひとつなんです。
そこでは今でも建築・絵画・手織物・陶芸・書道・金属工芸・石彫などの分野で技芸の修養が続いています。
もちろんイランもこの文化圏に入っています。

少し前の12月10日は、イード・アル=アドハー(イスラム教で定められた祝日)でした。
アブラハムが進んで息子のイシュマエルをアッラーフへの犠牲として捧げた事を記念する日です。
ムスリムのラマダーン明けにある、2つの祝祭の1つがこれ。
イード・アル=フィトルと同様に、イド・アル=アドハーは短い説教をともなう祈祷から始まります。
イード・アル=フィトルより長期間にわたるため、「大イード」とも呼ばれるそうです。
日本語に訳すと「犠牲祭」・・。わりとシビアなネーミングですよね!
イード・アル=アドハーはヒジュラ暦の12月10日から4日間にわたって行なわれます。
この日は世界中のムスリムによる、サウジアラビアのメッカへの毎年恒例の巡礼において、アラファト山を降りる日の翌日にあたります。つまりハッジの最終日です。
巡礼に参加していないムスリムも動物を1匹、生贄として捧げることでこの日を祝うそうです。
ダマーヴァンド山は、イランにある休火山です。
アルボルズ山脈中部にあり、標高は5,610m。イランの最高峰であり、中東全体の最高峰でもあります。
イランにおける伝説や神話を持ち、特別な場所とされる山です。

ペルシア帝国とは、現在のイランを中心にあった歴史上の国家なのです!

アケメネス朝がザーグロス山脈南部のパールサ地方から勃興して以来、イラン高原の周りを古典ギリシア語でペルシス、ラテン語でペルシア Persia と呼ばれてきたことに由来します。
ペルシャ帝国とも呼ばれていて、パフラヴィー朝時代の1935年にイラン帝国と名前を変えました。
一般的には古代の王朝、つまり古代ペルシア帝国を意味していて、その中でもアケメネス朝とサーサーン朝を意味する事が多いですね。
イランは、ペルシア帝国だったのです。
私は、最初ヘルシアと思ってしまいそのままヘルシア緑茶を思い浮かべてしまいました・・・。

イランの国旗は、1980年7月29日に決定ー!おめでとうございます!
国旗は、上から緑、白、赤の3色の横帯があり、真ん中にイランの国章が描かれているのです。
緑色はイスラム教を、白色は平和を、赤色は勇敢さを表現しています。
白帯の上下には、「アッラーフ、アクバル」のフレーズが上に11、下に11、計22個書かれているんですよ~。22の数字は、イラン暦の11月22日にイラン・イスラム革命が帝政を打ち負かした日だったので選ばれました。
帝政時代は旗の真ん中に皇帝を現すライオンの絵が描かれていたんですよ~、ライオンバージョンの方がかっこいいなと思いました~。

ペルセポリスはアケメネス朝ペルシア帝国の都。ダレイオス1世(ダーラヤーウ1世)が建設した宮殿群。
遺跡はイランのファールス地方にあり、ペルセポリスの名はギリシャ語の記録に由来します。
ペルシア語でなんと呼ばれていたのかは・・・・謎のままです。
紀元前331年、アレクサンドロス大王の攻撃によって破壊され、廃墟になりました。
うーん・・ひどいです・・。
イスラーム革命後、シャリーアに基づく政治体制が導入されたこともあり、女性・同性愛者・非ムスリムの人権状況は大きく悪化した。
憲法では公式にイスラーム教シーア派12イマーム派を国教としており、他のイスラームの宗派に対しては“完全なる尊重”(12条)が謳われている。一方非ムスリムに関して言えば、ゾロアスター教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒のみが公認された異教徒として一定の権利保障を受けているが、シャリーアにおけるイスラームの絶対的優越の原則に基づき、憲法では宗教による差別は容認されている。バハーイー教徒や無神論者・不可知論者はその存在を認められておらず、信仰が露呈した場合死刑もありうる。また非ムスリム男性がムスリム女性と婚外セックスを行った場合死刑なのに対し、ムスリム男性が同様の行為を行った場合は鞭打ち百回であるなど、刑法にも差別規定が存在する。イスラームからの離脱も禁止であり、死刑に処される。
女性に対してはヒジャーブが強制されており、行動や性行為・恋愛などの自由も著しく制限されている。ただし革命以前に比べて職場への女性の進出は進んでいるなど、一部には改善された面も存在している。同性愛者に対しては、共和国憲法で正式に「ソドミー罪」を設けており、発覚した場合死刑である。
刑罰においても、シャリーアに基づくハッド刑の中には人体切断や石打ち、斬首など残虐な刑罰が含まれており、また未成年者への死刑も行われている。国際的に確認されている範囲内で、近年のイランの死刑執行数は、世界の諸国の中で別格の1位である中国に次いで、サウジアラビアやパキスタンとともに2位グループを形成している(北朝鮮の処刑・死刑執行数は概数も不明だが、実際は中国に次いで多いと推測されている。)。イランにおけるこれらの状況は、世界の多数の国の議会・政府、国際機関、NGOや、イラク国民からも人権侵害を指摘され、人権侵害の解消を求められている。
イランに生まれなくて良かった・・・・

パサルガダエ(ペルシャ語でپاسارگاد)は、古代ペルシャの都市で、今日では、ユネスコの世界遺産に登録されている。ペルセポリスに残るエラム語の楔形文字によると、パサルガダエの名前は、Batrakataš と訳することができ、古代ペルシャ語の Pâthragâda が古代ギリシャ語に移入したとされるが、その意味は不明である。
パサルガダエはペルセポリスの北東87キロメートルに位置し、現在のファールス州にある。パサルガダエは、ペルシャ帝国の最初の首都であり、紀元前546年に、キュロス2世の手によって建設が開始された。しかし、その建設は途上に終わった。というのも、紀元前530年前後の戦争中に、キュロス自身が死亡したからである。ダレイオス1世がペルセポリスに遷都するまで、パサルガダエは、ペルシャ帝国の首都として機能した。現在の名前はギリシャ語が起源である。
パサルガダエ考古遺跡は、1.6平方キロメートルの広さであり、キュロス2世の墓と伝えられる建造物、丘の近くにそびえるタレ・タフト要塞と2つの王室の庭園から構成される。パサルガダエに残る庭園は、イランで最初の四分法に基づいて建設されたイラン式庭園である。
パサルガダエの土木工学における最近の研究では、ハカーマニシュ朝の技術者は震度7の地震でも耐えうる設計をパサルガダエに施していた。今日では、Base Isolation と言う方法を用いていたが、この建築方法は、原子力施設で今日も多くの国が採用している方法であり、また、日本のような巨大地震が頻発する国で用いられている免震方法である。
外国の墓はでかいなーーー(o´・∀・`o)

チョガ・ザンビール(ペルシャ語で、چغازنبیل)とは古代エラム人が、現在のイラン・フーゼスターン州に作った複合遺跡である。メソポタミア地方以外では数少ないジッグラトが存在する。デズフールのおよそ25㎞西、スーサの45㎞南方に位置する。1979年に、ユネスコの世界遺産に登録された。
チョガ・ザンビールは、紀元前1250年ごろに、Untash-Napirishaの手によって、Inshushinak神への崇敬の意を込めて建設された。チョガ・ザンビールのもともとの名前は、ウンターシュの街を意味するDur Untashである。しかしながら、この古代都市は、祭司を除いて、多くの人々が居住したとは考えられていない。チョガ・ザンビールは、三層の連結した壁で保護されており、壁によって、メインエリアは、「街」と定義される